芥川龍之介
誰もが知る小説家である彼は、
とうぜんながら読者でもあった。
芥川龍之介は、
「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
のなかで、「小説の読者」と題した短文を遺している。
彼は様々な小説を読んでいたらしい。
僕は筋の面白い小説を愛読してゐる。それから僕自身の生活に遠い生活を書いた小説も愛読しないことはない。最後に、僕自身の生活に近い小説を愛読してゐることは勿論である。
芥川龍之介が定義する小説の読者3パターン
①小説の筋ばかり読むもの
現代にも多いのではないか。
「速読」なんてものは全てそうであろうし、
筋ばかりを読ませる小説は、
ドラマ化されやすいことからベストセラーにもなりやすい。
個人的には、一語一句小説家が書き連ねた思いを「速読」していくのは非常にもったいないと思う。
失礼とすら、思う。
②小説の中に描かれた生活に憧憬を持つもの
憧れを抱きながら読む小説。
芥川はこう書く。
僕の知つてゐる或る人などは随分経済的に苦しい暮らしをしてゐながら、富豪や華族ばかり出て来る通俗小説を愛読してゐる。
貧富の他にも、憧憬を持つ対象はあり、
例えば、
モテない人⇨モテる人
弱い人⇨強い人
人見知りの人⇨交流的な人
など、様々なパターンがある。
そしてまた、憧憬の対象へと成長する過程を描いた小説も少なくない。
というか殆どの小説にはそうした要素が入っている。
例えば、この本。題からしても分かりやすい。
③読者自身の生活に近いものばかり求めるもの
芥川も愛読していたという「自身の生活に近い」小説。
これらを好むタイプは、小説に「共感」を求める。
芥川龍之介の作品にもそうした読者を想定した作品は多い。
ほかにも、太宰治はその代表格であろう。
③パターンの善悪
芥川龍之介は読者を3つのパターンに分けたが、
そこに善悪があるわけではないという。
芥川自身が、
「この三つの心持ちは、同時に僕自身の中にも存在してゐる。」
と書いているように、その全てがなければ、
あれだけの小説は書けなかったであろう。
芥川は、小説の評価を何で決定するかについて、
自身と世間の読者との違いを記した。
それは、
感銘の深さとでも云ふほかはない。それには筋の面白さとか、僕自身の生活に遠いこととか、或はまた僕自身の生活に近いこととか云ふことも勿論、幾分か影響してゐるだらう。然しそれらの影響のほかに未だ何かあることを信じてゐる。