日本人が考える平和
日本人は平和というものを間違えて理解している。何も生じていない世の中こそが平和だと考える。しかし、現在の米朝の状態をこそ平和と呼ぶことができる。どんなに緊迫した状況であってもそこには平和がある。両国ともに、核を保有し、攻撃用兵器を揃えることで均衡を保っている。当然、精神の状態は平和とは呼べない。しかしこれが今、世界、日本が国として求めている平和の姿だ。「何もない」というのは、簡単に言ってしまえば、戦争がないということであるが、そこには緊迫感があることを感じなければならない。
日本では軍事力強化を国が進めようとしても、疑問を持つ国民が多くいる。それは、戦争のない状態であることに慣れてしまい、何もないことが基準となったからだ。だからこそ現在の米朝関係を見て、戦争に直結したがるのだろう。実害が生じなくとも精神状態が崩れただけで、過剰に反応しすぎてしまう。
ないを求める
トランプ大統領と親しいアメリカ空軍の元将は、「北朝鮮から攻撃してこない限り、アメリカは決して北朝鮮との戦争を始めない」と話したという。この元将軍の言葉からは、不安を感じない。これは、均衡できる軍事力を持っているからである。
対して日本はというと、まず核を保有していない。軍事力強化がなかなか進まない。均衡できる力はない。と、ここでも「ない」状態を目指しているのかとすら思えてくる。戦争というテーマで自由連想を行い、出てきた言葉に全て拒絶反応を示す。戦争に関連するものをとことん排除していく。
タイミングを
幸運にも戦争のない時代を生きてきた人にとって、平和であったはずの何もない状態を危険とみなすことは難しいかもしれない。アメリカや北朝鮮を、自国に置き換えてみる必要がある。自分が、アメリカや北朝鮮に住む人間だと仮定することで、おのずと、平和には軍事力が必要なことがわかってくるはずである。
アメリカはタイミングさえあれば動く。アメリカだけでなく、それこそ北朝鮮であってもタイミングを見計らっている。準備は既に整っており、まさにボタン一つで時代を変えるような感覚下にトップは居る。そしてタイミングを作らせないためにも軍事力が盾となる。何も生じないことを平和だと思い、またそうした状態が好運にも続いてきたことが助長し、準備をすることにすら抵抗しているのは、平和に対して逆行している。
矛盾
「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話から矛盾という言葉が生まれたとされている。軍事力強化に抵抗する日本人は、9条を「どんな矛も防ぐ盾」だと思っているのかもしれない。日本の周辺には、その「盾」を突き通す矛が揃っている。そして彼らの目前には、矛を動かすボタンがある。日本人が理解すべきは「どんな盾も突き通す矛」こそが「どんな矛も防ぐ盾」だということに尽きる。矛を盾にしなければならない。
理解があれば何も難しいことではない。むしろ高い技術力をもつ日本にとって矛をつくることは容易なことだ。平和はあるものではなく、つくるものだと考えなければ、空想の平和がただ崩れていくことを傍観することになるだろう。