内田樹
1950年東京都生まれ。
東京大学文学部仏文科卒業。
神戸女学院大学文学部総合文化学科教授を2011年に退職。
同年、神戸市に武道と哲学のための学塾「凱風館」を開設。
『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)で第6回小林秀雄賞。
『日本辺境論』(新潮新書)で第3回新書大賞、2011年に第3回伊丹十三賞を受賞。
神戸女学院大学名誉教授。昭和大学理事。日本ユダヤ学会理事。合気道兵庫県連盟理事。
『修業論』
◆内容(「BOOK」データベースより)
武道家、研究家、生活人として…40年の稽古を通して形作られた、ウチダ哲学の核心。現代を生きるすべての人へ贈る「修業のすすめ」
修業とはなにか?
「修業」。
目的を達成するための厳しい修練、
といったようなイメージだろうか。
しかし、そのイメージを訂正してくれるのが『修業論』である。
修行とは、学びの一つのあり方だという。
「なんのためにこの稽古をするのか」
「この稽古をするとどんなメリットがあるのか」
など、ゴールを示され取り組むのは、修業ではない。
修業とは、
「目的を見失うこと」
である。
「目的志向」の危険性
修業の目的、ゴールを決めることは、
学びの範囲を狭めてしまう。
当然、学びの範囲が狭ければ、
成果もその範囲内のものになってしまう。
「合気道」と「無敵」
この本では、合気道連盟の理事でもある内田樹が、
合気道の観点からも修業を論考している。
キーワードは「無敵」だ。
そもそも「敵」とはなにか?
内田によると、それは、
私のの心身のパフォーマンスを低下させるもの。
では、それを踏まえた上で、
「無敵」とはなにか?
「敵」を定義しているのは「私」である。
「敵だ」と考えると敵になる。
ならば、
無敵となるためには、「敵」を無くせばいい。
と、考えるのなら誰でもできる。
内田の哲学は、ここからが真骨頂となる。
そもそも「敵」を生み出す、
「私」という概念を解体せねばならないと説いていくのだ。
「修業論」、必読である。