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小説『埒外のおふびいと』

投稿日:2017年5月26日 更新日:




朝です。あるいは、昼です。〈へそ〉から何度も電話が掛かってきております。あ、ほら、また。一体これで何回目なんでしょうね。着信音を「羊が一匹」と数えていたら、今頃また夢のなかに戻れていたのでしょうか? これを後悔先に立たずと言ってみたりしたい人がいるのですね?

でもね、冴、あなたのことを考えると、そんな言葉は信用できなくなりますよ。何に後悔すれば良いのかさえ分からないのですから。

例えばあの日、例えばあの日、例えばあの日……例えば、映画を見に行きましたね。とってもつまらない映画でした。ミュージカルを映画化したものは、苦手です、僕は。映画の中の彼らは、死にかけた人を抱いているときでさえ、銃口を向けられた時でさえ、性交の時でさえ、メロディに乗せて発話するのです。なんて呑気なのでしょう。僕の目には奇妙にしか映らなかったのです。

あなたは楽しんでいましたね。

僕は横目でその姿を見て、暇を潰していましたよ。

そしてそれら全ての僕は、彼だったのですね。今になってはわかるのです。あれは僕ではなく、彼であると。いいえ、その時は、当時は、たしかに僕なのです。

そうして今、僕はまた、僕になったのです。元来の。

個人的には何も変わっていないはずなのに、全く全てが変わってしまったのです。スイッチを押したように、かちっ。聞こえましたか? 切り替えられてしまったのです。

色々なことを思い出します。それは確かに、色々な色をしています。赤青黄色緑ピンク、白、茶色、黒……いいえ、全く言葉じゃ足りないほどの色々な色なのです。「色々な色」! でした。

回想録を書く気はしません。

だから日記から引用すればいいではないか、と思って思った通りにしますわ。

 

 

いいえ、やっぱりしません。そんなことはくだらないことです。いいえ、そうです。くだらないことばかり、いいえすべてくだらないことを綴っているのです。くだらないことってイヤ。表面だけをすり替えて結局同じことしかしていないテレビのバラエティ番組みたいでイヤ。

そもそもなんですか? 僕とか彼とか僕とか彼とか、僕が僕で彼が僕? そんなくちゃくちゃな表現ってイヤ。そんなんじゃ、「読む側の気持ちを考えなさい」と、国語の先生に言われちゃう。「文章は読む人の気持ちを考えて初めて伝わるのです」と続けてくちゃくちゃ言うのだろうね。

先生ってイヤ。

「そうだよな、テイヤ?」

だから僕は彼に名前をあげることにした。

彼の名前はテイヤ。

それは親の口癖、「○○ってイヤ」からとった名前。名は体を表すんなら、きっとその由来が、反面教師として働くでしょう。

ああ、なんて夢のある名前!

テイヤ、君は今からどこに行くんだい?

「旅に出るんだ。君が何と言おうが言わまいがね」

「僕がここで胡坐をかけば、君はどこにも行けないじゃないか」

「そんなことはないよ。君は僕ではないのだから」

 

 

 

 

洗面台の電球が一つ切れたのは、その晩のことだったと記憶しております。

ええ、〝月は綺麗だった〟のです。

その日から僕はこの本を書きだしたのです。

後の展開など知る由もありません。未来には立てないのです。

きっとこの本が書き終わっても、最後のページには、著者や発行者の名前、印刷、製本、デザイン、©、値段―あれから少し時間が経ちましたが、僕はまだこれらを総括する言葉を見いだせないのです。悲しいね―そのどれも、書かれることはないでしょう。

その空白を埋める詩さえ、まだ決まっていないのですから。




テイヤはギターを買った。中古の。傷だらけの。傷だらけだから安くなった、弦の錆びたギター。

テイヤには傷が価値を下げる理由が分からない。

「絆創膏を貼って、もし治ったら値上げしますか?」

「そりゃするさ」

店主は言う。ハキと。

テイヤは芝生の上にギターを寝かせ、ここに来る途中に薬局で買った一番高級な絆創膏を傷ひとつひとつに丁寧に貼っていった。

「誤解しないでよ。君の値段をあげようなんて考えているんじゃないんだからね」

突然吹いた風に運ばれ、木の実がやさしく弦を弾いた。

「安心したよ。わかっているんだね?」

ギターはもう答えなかった。テイヤはそんな彼をお気に召した。

テイヤはギターのコードを三つしか知らない。いいや、確かにむかしむかしあるところにいたテイヤはコードをたくさん覚えた。ところがどっこい、脳と言うのは不思議なものね。必要のないと思しきものを消去していく。いいやどっこい、ほんとは、ほんとうは、記憶は脳のどこかにあるのだけれど、それを引き出そうとしないのだ。まるでノブのないドア。あれ? それって壁? 壁の向こうに何がいて、壁の向こうで何思える?

Cと、Dと、Gと。

アンプに繫がれず、エレキギターは嬉しそうに三つのコードを鳴らす。ランダムに。滅茶苦茶に。

そうしてテイヤは待つ人となる。

「いったい何を待っているのさ?」

コードとコードの間でギターは言う。

「決まっているじゃないか。歌だよ、歌」

言葉にならない言葉でメロディを掴もうとする。メロディは掴もうとする。この国の人にも、どこか遠い国の人にも、理解されない言葉。テイヤにだけ分かる。そうさ何かを表している。たしかに。その〝何か〟伝えるために、別の共有された言葉に変換しなければならない。

される。

意識を拡散する。

意識は拡散される。

身体の共有。存在に近づけるための。

夜になる。巣の中で鳥が鳴く。雛が内から殻をつく。つつく。

「もう少しさ」

言葉にならない言葉&言葉にならない言葉の間でテイヤが言う。

掴みかけていた〝何か〟を示す言葉を見失う。アッ!

雛は疲れて殻のなか、身体を丸め、丸められて?

一・二・三、眠りに落下! アッ!

 

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