保坂和志『小説の自由』
内容(「BOOK」データベースより)
誰よりも小説を愛する小説家が、自作を書くのと同じ注意力で、実際の小説作品を精密に読んでみせる、驚くべき小説論。
「優れた小説」とは?
保坂和志『小説の自由』を読みながら、
ずっとそのことを考えていた。
まず、世間的によく言われる「優れた小説」について。
なにが文学界で話題になり、なにが評価の対象になっている風潮があるか。
そこでいう「文学的に優れている」とは、技巧的なことだ。
風景描写が心情化、人間化されているだとか、
ストーリーが秀逸だとか、そうゆうこと。
しかし、それは小説の優劣を決めることだろうか?
答えは、否である。
小説はもっと自由なもののはずだ。
読んでいる間に、ぱーっと世界が開かれていく。
目で見て耳で聞いて、鼻で嗅いで、空気に触れる。
そうした全ての感覚を与えてくれる小説こそ素晴らしいのであり、
それは必ずしも技巧的なものを必要としない。
「音楽のような小説を」「音楽のように小説を」
それは音楽を楽しむときと比べると分かりやすい。
小説を音楽のように読めないだろうか。
例えば好きな音楽なら何度も繰り返し聴くことがある。
それに比べて小説は数回読み返しただけのものが、最も好きな小説だったりする。
もっと音楽のように小説を楽しむべきだ。
何度も何度も繰り返し読んで、その度に新しい発見がある小説。
それこそ本当の小説の価値ではないだろうか。
本当の小説の価値を生み出すために
では、そうした小説の価値を生み出すためには、どうしたら良いだろう。
ここでまた音楽を参考にすると、それはリズムがあることだ。
言葉のリズムが、脳の中で踊り出すような小説。
一気に読んでいるうちに、ふと立ち止まって考え込ませてくれる小説。
例えばそれはカフカである。
保坂和志は、小島信夫こそ日本のカフカであるという。
それは、木に例えられる。
葉っぱがあり、その奥にあるはずの幹を探していく。
探しているが、そこにはずっと葉っぱしかない。
でもきっとその先に幹があると感じさせる。
そうした推進力のある小説。
音楽のような小説。
私にとってそれは、たとえばこんな小説だ。
小島信夫『アメリカンスクール』
内容(「BOOK」データベースより)
アメリカン・スクールの見学に訪れた日本人英語教師たちの不条理で滑稽な体験を通して、終戦後の日米関係を鋭利に諷刺する、芥川賞受賞の表題作のほか、若き兵士の揺れ動く心情を鮮烈に抉り取った文壇デビュー作『小銃』や、ユーモアと不安が共存する執拗なドタバタ劇『汽車の中』など全八編を収録。一見無造作な文体から底知れぬ闇を感じさせる、特異な魅力を放つ鬼才の初期作品集。
町田康『パンク侍、斬られて候』
内容(「BOOK」データベースより)
江戸時代、ある晴天の日、街道沿いの茶店に腰かけていた浪人は、そこにいた、盲目の娘を連れた巡礼の老人を、抜く手も見せずに太刀を振りかざし、ずば、と切り捨てた。居合わせた藩士に理由を問われたその浪人・掛十之進は、かの老人が「腹ふり党」の一員であり、この土地に恐るべき災厄をもたらすに違いないから事前にそれを防止した、と言うのだった…。圧倒的な才能で描かれる諧謔と風刺に満ちた傑作時代小説。