私が、かねてから、
これを国語の教科書にすればいいではないかと思っている本がある。
井上ひさし 『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』だ。
今回は、ものを書くときに必要な手順について、 この本から学べることを要約する。
「ものを書くときは(いまから書くことが)全部わかっていたらつまらない。」
ものを書く楽しさは、書いているうちに自分にも予想もつかないような展開になること。
つまり、 「書くこと」=「知ること」だと、彼は言っています。
彼はこれを、 「思いがけない邪魔者」 と呼びます。
その邪魔者に出会った時に、はじめて文章は自分にも、読む人にも面白くなる、と。
文章を書くには、 以下のステップを踏む必要があるのです。
【文章を書くステップ】
①理屈で組み立てる もうどこからでも書けるというところまで考え抜き、一旦それを脇に置いて、書き始める。
②邪魔者に出会う いくら考え抜いたあとでも、書いていくうちに、予想もつかなかった展開になる(邪魔者に会う)。
③知る 書き始めるまでは考えてもなかったことを発見する。 こう書くと、 文章を書いていれば新しいことを知れる、と思うかもしれません。
しかし、全くの更地からはなにも生まれません。 言葉通りの不毛です。
ここで重要になるのが、 「長期記憶」 だと井上ひさしは書いています。
人の記憶は、「短期記憶」と「長期記憶」に分けられます。
簡単に説明します。
「短期記憶」: 読んだり見たりしたものを一時的に保持する部分。容量はかなり少ない。単語数にして、わずか7〜8語。すぐに忘れるための記憶とも言える。
「長期記憶」: 夥しい数の過去の体験を、実体験、映像体験、言語体験を問わず、長い時間をかけて溜め込んだもの。人の財産となり、百科事典となる。忘れ去ってはならないと脳が記憶するもの。
以前このブログで、 井上ひさし『ふふふ』というエッセイを紹介しました。
そこに書かれていた「体験」の重要性 。
ここでもやはり、 彼は、「体験」の重要性を、 今度は「長期記憶」という言葉とともに書いています。
ものを書くには「体験」。
それも、忘れ去ってはならないと記憶するに値する体験が、必要なのです。
ここで間違ってはならないのは、 長期記憶を意識しながら書く必要はない、ということ。
長期記憶は、あくまでも書いていく途中で「邪魔者」に出会うために重要なだけです。
つまりは、日々、体験を積み重ねながら、 書き始めること。
これに尽きるのです。