中原中也と聞くと、
どのような姿を思い浮かべますか。
暗いハットの下に光を帯びたモノメニアックな目。
スーツ姿で寝癖の付いた髪。
幼年時代の尖った耳。
おそらくこの3つのうちどれかであろう。
中原中也の詩集を読んでいて、
ぱたと本を閉じた時、
表紙に写る彼の顔を見て、
ああこの人はイケメンなのではないか、
と思った。
中原中也で画像検索をして、
その写真に自分の好みの髪型を想像してほしい。
ホラホラ、イケメンではないか。
『骨』
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分(いくぶん)空を反映する。
生きていた時に、
これが食堂の雑踏(ざっとう)の中に、
坐(すわ)っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑(おか)しい。
ホラホラ、これが僕の骨――
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処(ところ)にやって来て、
見ているのかしら?
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半(なか)ばは枯れた草に立って、
見ているのは、――僕?
恰度(ちょうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。
中原中也の『骨』です。
詩はしばしば、
「自分の感性が見れる鏡」だと言われます。
私は彼の詩を読むと、笑ってしまいます。
哀しい中にどこか可笑しさがあるのです。
その可笑しさがなければ、
彼は詩を書き続けなかったことでしょう。
どこかふざけている。
ふざけないと生きていけない。
そういった生きる上での哲学が
彼の詩には表れています。
そんな中原中也の生き方が、
友人の視点で描かれた本があります。
大岡昇平『中原中也』
親交のあった大岡昇平が中原中也の生き様について、語っています。
そこには友人の視点ならではの、中原中也の魅力がたっぷり詰まっておりました。