作家にはうつ病の人が多い?
ぱっと思い浮かべただけでも何人もの作家・小説家が思い浮かぶ。
太宰治、夏目漱石などの文豪も心に病を抱えていた。
なかでも、最近で、
うつ病との生活を赤裸々につづっていたと思うのが、中島らもだ。
内容(「MARC」データベースより)
30歳でうつに襲われ、40歳であわや自殺未遂、42歳で躁に転じて大わらわ…。奇才・中島らもが初めて自らの躁うつ体験を語る。誰もが心に不安を抱える現代に、読むほどに元気をもらえるあたたかなエッセイ。
うつ病に対する偏見
『ツレがうつになりまして。』という映画がある。
現在アマゾンプライムビデオで観ることができるので、
観なおしてみた。
そこで語られることは、
うつ病がいかに誰でもなりうる病気なのか、ということ。
映画の中では繰り返し、
「うつは風邪と同じ」「うつは心の風邪」
というような表現がされる。
風邪は誰でもひいたことがあるだろう。
それと同じくらいに誰でもなりうる病気なのだ。
うつ病が理解されにくいのは、
状態が「ふりこのように」良くなったり悪くなったりすること。
見守る側がなかなかうまく理解できないのは、そうした症状があるからかもしれない。
映画の中盤で、
「ツレ」が、医師にすすめられる治療法がある。
日記療法
その日あったこと、思ったことを日記に綴るという療法。
そうすることで、自らの状態を認知することができるという。
ここで、ふと思うことがあった。
中島らもは、いくつもの作品のなかで、
うつ病についてを書いた。
あれは、日記療法を兼ねていたのではないか。
彼の場合、「日記」はエッセイや小説を昇華し、ユーモアさえ交えた。
自殺念慮に襲われたこともある彼が、
最期まで物書きとして生き続けたのは、
作家であることと日記療法とに意義の一致があったからこそなのかもしれない。
そういった意味において、
中島らもは自らを認知するプロであった。
原作『ツレがうつになりまして。』
映画のことを書いたが、
この作品はもともとコミックエッセイである。
うつ病を見守る側から書かれた良書として知られている。
「誰しもがなりうる病気」というのは、
当然、自らだけでなく、近くにいる人もまたなりうるということ。
患者自身として、おもしろおかしく書いた中島らも。
見守る側として、おもしろおかしく書いた細川氏。