筒井康隆とは?
誰もが知る日本の小説家。
BRUTUS『危険な読書』では、
最も危険な作家として取り上げられている。
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筒井康隆はブラックユーモアを得意とする。
それは真実を知っているからこそ可能となる文学的で高等的なテクニックだ。
慰安婦「少女像」とは?
主に大韓民国に多数設置されている朝鮮人慰安婦の少女を模したとされる像。
今回の事の経緯は、
「少女像」が韓国・釜山の日本総領事館前に設置されたことへの対抗措置として一時帰国していた長嶺安政・駐韓大使が、韓国へ帰任したこと。
このことに対して、
筒井康隆は公式サイトでこう述べた。
「長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった。あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう」
最高じゃん。
筒井康隆の発言への批判
まずは、韓国メディア。
「衝撃的な妄言」と非難している。
さらには朝鮮日報が、
「慰安婦:筒井康隆氏が衝撃妄言、少女像を性的に侮辱」といった記事を公開した。
また、この発言がTwitterに掲載されると、
「本気か」「信じられない」「下品」などのコメントが相次いだ。
これらの批判はどれも、
筒井康隆、文学、ブラックユーモアを理解できない残念な反応だ。
発言のレベルが違うんだよ。
ブラックユーモアとは?
そもそも筒井康隆が得意とするブラックユーモアとは何なのか。
それは「笑い」と「皮肉」の共存である。
どちらも非常に難しい。
「笑い」も「皮肉」も本来、高等的な技術があってなしうるものだ。
そしてそこには差別がある。
しかし差別という言葉をマイナスに捉えるのは、差別を差別のままにしてしまう危険がある。
同じくブラックユーモアを得意とした作家、中島らもは、
「笑い」とは「差別」である。
というような言葉を遺した。
人が笑う時のことを考えて欲しい。
例えば(面白いかは別にして)、
よく笑いのパターンとして使われるのが、
偉い人が転ぶ
なんてことが挙げられる。
「偉い人」と「転ぶ」ということのズレ。
このズレがあるからこそ笑えるのではないか。
そして差別とは、こうした「ズレ」のことではないか。
では、「笑い」(ここではブラックユーモア)を創り出すには何が必要か?
それは真実(基本)を知っているということだ。
真実(基本)を知っていなければ、何が「ズレ」かも分かるはずがない。
筒井康隆の真意
筒井康隆は朝日新聞の取材でこう発言している。
「あんなものは昔から書いています。ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう。本当はちょっと『炎上』狙いというところもあったんです」
「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」
つまり真実、歴史、を知っているからこそ、そこにズレ(ブラックユーモア)を生み出すことができるのだ。
だからこそ、
筒井康隆を、
文学を、
ブラックユーモアを、
知らずして、
ただ批判や炎上させるのは、
自分の無知を露呈するだけだ。