文学の歴史を見ていると、
うつ病やノイローゼであった作家の多さに驚かされる。
そもそも、うつ病、ノイローゼとはなんなのか。
どうして作家にそれらが多いのか。
例えば、文豪・夏目漱石。
彼は、33歳からのイギリス留学時代にうつ病になっています。
何の前触れもなく、何となく教師をしていた彼に、
「英語研究をしてこい」とイギリス留学が命じられました。
鬱病になった大きな原因の一つが、
イギリス人との体格の違い。外見の違い。
夏目漱石はコンプレックスを抱きます。
それとともに、彼は常に「空虚」を感じていました。
例えば、この文章。
私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。
私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。
(『私の個人主義』中公クラシックス)
自分は何なのか。生き甲斐は何なのか。
こうした悩みは、現代人が、うつ病になる典型的な原因です。
漱石の内面の悩みとの戦いに、イギリス留学は追い打ちをかけます。
イギリス人を前にして感じる自分の、貧弱この上ない身体。
外面の悩みも抱くようになったのです。
さらに、イギリスで自分の英語力が通用しないことに気付きます。
そこから彼は、猛勉強。英文学の研究を続けました。
英語教師の彼が、です。自信は失われていくばかり。
そうして見知らぬ土地で、現代で言う「ひきこもり」状態になった彼。
鬱になるのも無理はないでしょう。
しかしこの英語の猛勉強がなければ、
夏目漱石の文学は生まれなかったでしょう。
何故なら明治時代には、まだ、
「近代的な自我とか近代人の内面を描くのに日本語がまだなじんでなかった」からだ。
(『話し言葉の日本語』著:平田オリザ、井上ひさし)
そのため、当時の作家には、
例えば国木田独歩のように、
英語で書いてから日本語に直すという作業を行っていた人が多い。
つまりあの時代には、
他言語から、日本語を見直す必要があったのです。
漱石の突然の指令での渡英は、間接的に、
彼に、「日本語改革」を託したのかもしれません。
こうした文学者の努力があってこそ、
口語日本語が完成したのです。
もう少し後の時代には、中島らもが躁鬱病として知られています。
彼は、躁鬱との暮らしを本にしています。
『心が雨漏りする日には』(青春文庫)
30歳でうつに襲われ、
40歳であわや自殺未遂、
42歳で躁に転じた。
奇才・中島らもが自らの躁うつ体験を綴っています。
こうした誰もが心に不安を抱える現代に、
本は心の処方箋となります。