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小説『埒外のおふびいと』

投稿日:2017年5月26日 更新日:




就職活動に失敗した身には都合のいい月日を過ごし、僕はみんなより半年遅れて卒業。まず困ったのは「もう学生じゃないんだからね」と親からのメールの後、一切の仕送りが途絶えたことで、家賃が払えなくなったこと。バイト代だけじゃ到底賄えないし、とりあえずつって、ハローワークに行って、失礼します、いやここはやはりと、失礼致します、つって、ホテルの準社員としての雇用を得た。面接では、大学四年間スタバでバイトをしていたと嘘をついた。本当は宅配物の仕分けの夜勤しかしてなかったけど。そうそう、そこでは東南アジアからやってきた人たちが訳のわからない言葉をのべつ幕なしに発しながら働いていたよ。理解できない言葉ってのは、恰好のBGMになるね。サウンドスケープ(音の風景)っていうかさ。

訳のわからないといえばテレビもそうだね。やつは現代が不況だという。遥か彼方の国から来た人たちに雇用があるのというのに、どこが不況だというのだろう。僕は情報を信じない。高校で習った歴史はどんどん改訂されていく。歴史の改定。それってまるで超能力じゃん。ことばの矛盾じゃん。とまあそんなこんなな愚考のなかでも、集荷された段ボールを右から左に置く単純作業を繰り返していたのには理由があって、ほら、朝が苦手で夜更かしが常の僕にとって、その仕事は、その時間帯が故に続けられたのだろうね。いやまじで。ってことは、ホテルの夜勤も最適じゃん? 初めの頃はOJTに、「笑顔がぎこちない」と、いつも怒られたけどね。「それでスタバに立ってたのか!」とか言われちゃってさ。いうまでもなく僕は、そんな叱責を受け流していたよ。心のなかでは、外見をどうこういうって、それって全く差別じゃね、とかなんとか不平をこぼしながらね。高架下のサラリーマンを見れば明らかなように、仕事なんて、そうしなきゃやってられんよね。彼は典型を演じることで心の平和を保っているつもりで、実際保てちゃってるんだろうけど。

いつでも僕は僕を放っておいてほしかった。

と過去形で書いている時点で僕なんかよりずっと勘のいい読者は、もう僕がその仕事を放りだしたことにお気づきであろう。放らないなら……と、こっちから放ったのである。

放る、と、葬る。一文字違いだね。

なんつって。

「お疲れさまです」

嗚呼なんと便利な言葉。

中年ビジネスマンが泊ることの多いそのホテルでは、夜が深けると顔を赤くしてへべれけな顔たちがフロントにやってきては、また同じ顔、顔顔顔。厭になるよね、実に。だってそうだろう。我が国の為に、家庭の為に働いて、夜になれば「酒は百薬の長ですからなあ」とかなんとか嘯きながら、飲む、浴びるように。なかには実際浴びてみましたけどなにか? みたいな人もいるんだから、やってられません。そうして現実逃避とかなんとかいって―それってつまり仕事中のみが現実だと、そう思ってるわけ? 可哀想に―翌朝になるとまた社会の歯車であるという虚しい誇りを糧にきっちりとネクタイを締める。「ネクタイって剣の形がもとになってるんよ」って僕は大仰な言い方で。「お前は騎士か?」 誇り高き戦の名残。歴史の残り香。で、なんでそんなもんに拘泥しているわけ? くだらないよ。くだらない。僕には無理だね。とフロント前のぴかぴかに磨かれた鏡に映るのは、ネクタイを締めた僕。大いなる矛盾。

歯車の僕。

は、「歯車に欠陥を」をマニフェストに掲げ、辞表を提出した。いや嘘をつきました。辞表なんていう、読むに足らない文章は書きたくなかったので書きませんでした。そのこころ、自然。いいね自然。布切れを首に巻きたい人なんていないでしょうね、自然。立つ鳥跡を濁したでしょうか、否。

んでま、回顧録として書くことはもうなにもないのですけれど。




という遺書を書いても何か物足りず、実行に移せないのは、精神が肉体を凌駕してないからかな。自殺する人ってのは精神が肉体を食べちゃったんでしょうね。ほら例えば三島さん。会ったこともないけれど。そしてそれが僕にはどうもまだできてないみたい。きっと自らの精神をコントロールできてないんだな。はは、もうちょっと鍛錬が必要ってか。死ぬのも楽じゃないね。

そうですよね、三島さん?

仕方がないのでまずは、

「己の精神を整理整頓してみましょう」

あたまのなかで、無機質な声がそう言った。「ピーという発信音の後に……」というあれのあれと同じ声。いや実際に、声に出していたのかもしれない。時々、そんなことすらわからなくなるんだ。わからなることだらけで、それらはみんな、世迷言。まるでね。わかっているようでわからないって点からすれば、よまいごと、ではなく馴染みのない、よまひごと、と書いた方が適しているように思えるよ。自分のことなのに、すっかり自分とは乖離しているみたいで。帽子みたいに自分を選びたいね、その日の気分で。或いは、「今日のラッキーカラーはオレンジ」、そうかオレンジ、ああでも持ってないから、薄い赤でもいいかな、なんて占いの結果で。

死んでないのだからこれはもう遺書とは言えないのではないか、僕は重ねた原稿用紙を四つに折り、洗面台の下の棚に投げ入れた。家の中で一番目につかないところを選んだ結果である。そこには、いつ使ったものか分からない空飛ぶ絨毯のような雑巾が、固くなって、黴を住ませて潜んでいた。

「友達ができてよかったな」

ま、とりあえず僕は、百円ショップで一番分厚いノートを買うことにしようと思った四十分後に一番分厚い紺色のノートを買い、その表紙に『よまひごとを』という題を書いた。

その瞬間、こころのなかに、ふわりと生きる意味の花、芽生えの瞬間から早送りのようにひろがると、本末転倒のかほり。また乖離! 僕は誰にも奪われたくないという一心で、そのアネモネに似た、光の加減で赤にも青にも見える花を引き抜いて、疾く押し花にする。願いを込めて。時間を止めて。

ほんとは、アネモネがどんな花か、知らないんだ。

表現をスタートする喜び。

同時に、表現ってなんやねん、の心地。

期待外れの人に僕はいつからなったのだろう。

のらりくらりな人生で野良犬になってしまったかい?

懐かしい歌の一節が頭のなかでリピートされる。歌手の名前が思い出せない。ふざけたバンド仲間が作った歌かもしれないし、自分で作った歌かもしれない。いずれにせよそれは重要なことではない。伝搬されうるもの自体を僕は作りたい。名前は要らない。ブランドは要らない。

よくライブしてたな。ギターはとっくに売り払った。六千円かそこらにしかならなかった。それでも「趣味は?」に「ギター」と答えてしまうらへん、実に僕って感じ。

みえみえのみえみえのみえ。

仕事を辞めてからというもの、やることがない。ギターを買おうか? でもきっと歌いたいこともない。んじゃ何のため? そもそも金がありゃしない―書くこともない。

以前何度か来たことのある古本屋〈有賀書店〉に入り、目指すは、片隅の〈一〇〇円コーナー〉。僕は目を閉じで、手を伸ばす。指先に触れたのを否応なしに買った。これは僕が学生時代からよくやる手法。その結果、読んだのは『多肉植物図鑑』やら『ネイルアート・入門編』『祖国日本よ、オランダに学べ!』とか……まあ内容を覚えているのは殆どない。そもそもちゃんと読んでなかったし。ハマったのは唯一、澁澤龍彦ぐらい。それすらもう内容も覚えてないけれど。

その頃はただ、本とコーヒーと煙草があれば、もう全てあるような気持ちがしたもんでした。あれれ? いまもしています。まるで固執するようにね。

自分の好きなものばかり読んでいたら見聞が広まりませんよ、なんていう生真面目な思想から始めたこの手法。いまとなっては、なんというかただの占いのようなもの。そう、占い。ほらあれ何ていうんだっけ、あれ、ああそうそう、セレンディピティっていうの? それを信じ求めている部分もある。

で、中指が触れたのは『あなたも心理学』って本。お見事ご立派に黄ばんでいる。人間で言ったら七十六歳ってなもんかな。新品の眩しいほどまっ白な本より、ずっと目に優しそう。

守るべきルールに従ってそれをレジに持っていくと、丸眼鏡で白髪で紫色のヘアバンドで、いつもは無愛想極まりない店主のおじいさんが、ちらりらりとこちらを二度見して、なにやらにやついている。「はーん、こやつ人生に不満で心理学を学ぼうとしているのですな」と見えたのでしょうか。

蓋しその通とーりでありますとも!

まあ買い、近くの喫茶店で一番安いコーヒー(大概メニューの一番上にあるから迷うこともないんだ)を頼んで、袋に入れたままの古本をコースターにして、まとわりつくような嫌に湿り気のある煙草を一本吸って……。

しかし生き延びることが決まったからには、家賃を払わなきゃならぬわけで、の為には、労働の対価として賃金つうものを貰わなきゃならず、煙の向こう、入口のドアの横に黄色い求人雑誌を見っけて、腰を上げた自分に驚いた。立ち上がりそのまま座るのは徒労ってんで、それ即ちタウンワークを手に取ると、無駄に僕を感知した自動ドアが開いて、なんだか「帰りたまえ」と言われているような気がしたけれど、元来わたくし天邪鬼なところありますので、居座ってやろうと決心す。まだ来たばかりだし、飲まずに帰るなんて、コーヒーに失礼だしね。

席に戻っててきとうに開いて〈皿洗い〉の募集を見っけて、例によって「こらええな」なんて声に出してしまって、隣のじいさんに睥睨され、会釈で謝罪したりしましたわ。一応、その〈カフェレストラン・へそ〉の部分だけ破って胸ポケットに入れたけど、その段階で既に電話なんてしないんだろうなっていう将来が想定できて、将来が分かるなんておれ神じゃん、いや違うんじゃね、いや違うってわかること自体が神の証明じゃね、みたいな青少年じみた円環的な思考ありました。とくに意味はありませんでした。そうして決まってすぐに恥じるのですよ、自身の脳みそを。投げて、ぐちゃり。

ガムシロップを入れ、かき混ぜる。これがいつもの僕の飲み方、コーヒーの。ミルクは入れない。何故ならって、黒い液体の方が僕の隅々まで浸透するように感じられるのであります。ストローが氷の群れを押しのけて旋回する。氷の悲鳴。しゃりしゃらんと夏の音。

夏はまだ先だぜ、焦るでない。なんつって。

その音の裏では恋愛禁止のアイドル達の歌が、BGMとして流れている。恋愛禁止のやつらが恋愛の歌をうたっているなんて、まるで全てが嘘なんだね、フィクションなんだね。僕は嫌いよ、好かん。

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