川端康成
川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 – 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家、文芸評論家。
大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。
大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。
大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。
西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、詩的、抒情的作品、浅草物、心霊・神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った。
そんな川端康成が代表作である『伊豆の踊り子』を執筆した宿が実在する。そして、泊まれる。
源泉100%掛流しの贅沢な湯に浸かり、
文豪が愛した趣のある部屋で、
狩野川のせせらぎを聞きながら、
『伊豆の踊り子』を読む。。。最高ですね。
岩波文庫『伊豆の踊り子』のあとがきでも紹介されている
「あとがき」にはこうあります。
「伊豆の踊子」は大正11年、私が22歳の7月、伊豆湯ヶ島温泉の湯本館で書いた、「湯ヶ島の思い出」という107枚の草稿から、踊り子の思い出の部分だけを大正15年、26歳の時に書き直したものである。
「伊豆の踊子」と旅をした翌年、私は神経痛をわずらって、湯ヶ島の湯本館へ療養に行った。
湯本館の湯は冷える方で、神経痛には向かないと後で知ったが、その時は1週間ほどで治った。
それから昭和2年まで10年の間、私は湯ヶ島にいかない年はなく、大正13年に大学を出てからの3,4年は湯本館での滞在が、半年あるいは1年以上に長びいた。
「文藝時代」のころは、私は東京に定まった家も宿もなくて、湯本館で暮らす方が多かったのである。若い身でよく山間のさびしい宿にいられたものと思う。
しかし、「この湯ヶ島は今の私に第2の故郷と思われる。・・・ひきよせられるのは郷愁と異ならない。」と、私は「湯ヶ島での思い出」にも書いている。
「去年の春、私が引き上げる時宿のおばあさんは、一人息子を遠い旅にやるようだと涙を流した。しかし私は秋にまた帰って来た。」
今後も、文学好きな方におすすめな宿を紹介していきます。
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