志賀直哉『暗夜行路』は恋愛小説ではない。
志賀直哉『暗夜行路』は、当時小林秀雄などによって恋愛小説という批評を受けた。
しかしこの小説を単に「恋愛小説」と括ってしまうのは、あまりに勿体無い。
実際、志賀直哉自身も、恋愛小説との批評に対し、
「思いがけなかった」
「そうゆう見方もできるという事はこの小説の幅であるから、その意味では嬉しく思った」
「恋愛小説を書きたいとはすこしも思わなかった」
と書いている。
では、志賀直哉は、この小説でなにを書いたのだろうか。
『暗夜行路』のあとがきに、志賀直哉自身が述べている箇所がある。
「外的な事件の発展よりも、事件によって主人公の気持が動く、その中の発展を書いた」
確かに『暗夜行路』では、主人公の内面の葛藤が描かれている。
主題は、倫理的なものだ。
では、なぜ一般に「恋愛小説」というイメージがあるのだろうか。
それは一つに、志賀直哉の文体がそうさせているのではないか。
志賀直哉の文体
志賀直哉を若い頃から高く評価していた人に、
夏目漱石と芥川龍之介が挙げられる。
芥川は、
「書きたくても書けない」
漱石は、
「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからああゆう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」
と、志賀直哉の文体について話したと言われている。
志賀直哉は頑固に自分の表現を追い求めた。
「原稿の書き直しをする度に枚数が減る」
という伝説が有名だが、
的確な表現を追求していたことは、そこからも想像できる。
そうして生まれたのがあの無駄のない文章であり、
それは今もなお、小説文体の理想のひとつと見なされている。
その軽やかな文体は、難しい主題の上を一気に読み進めていく力がある。
「恋愛小説」として読んだ後に、深い気づきを与えてくれるのが、志賀直哉の文学だ。