絲山秋子とは?
≪略歴≫
東京都世田谷区出身。
東京都立新宿高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒。
卒業後INAXに入社。営業職として数度の転勤を経験。
1998年に躁鬱病を患い休職、入院。
入院中に小説の執筆を始める。
≪受賞歴≫
●2003年(平成15年) – 第96回文學界新人賞(『イッツ・オンリー・トーク』)
●2004年(平成16年) – 第30回川端康成文学賞(『袋小路の男』)
●2005年(平成17年) – 第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞(『海の仙人』)
●2005年(平成17年) – 第134回芥川龍之介賞(『沖で待つ』)
●2016年(平成28年) – 第52回谷崎潤一郎賞(『薄情』)
絲山秋子とロック
絲山秋子の作品には、数多くの音楽作品が顔を出す。
なかでもロックに対する造詣が深く、
日本、世界限らず様々な楽曲やアルバムを作品のなかに入れ込んでいる。
特に、小説『ダーティ・ワーク』では、
ローリング・ストーンズのアルバム
『Dirty Work』を題にするだけでなく、
『Worried About You』から始まる7編全てに、
ストーンズの楽曲名がタイトルに冠せられている。
「異性を描く」ということ
絲山秋子の魅力は、まだまだある。
なかでも特筆すべきなのは、男性を描く巧さであろう。
(現代において、作家の性別を問題にするのは、ナンセンスであるが)
日本文学の歴史において、
「男性が女性を書く」/「女性が男性を書く」
ということが幾度も問題になってきた。
彼女は、『エスケイプ』や『ばかもの』で見事に男性を描いている。
紀貫之『土佐日記』
平安時代まで遡れば、男性の紀貫之が『土佐日記』を、
女性として書いている。
「男もすなる日記というものを、女もしてみむとて、するなり」
という冒頭の一文は有名だ。
その文章には「ひらがな」が使われている。
(『土佐日記』は文学史上、初めてひらがなで書かれた文学作品と言われている。)
当時は、男性が「ひらがな」を使うことが良しとされていなかった。
そのため女性仮託を行ったのである。
また、894年に遣唐使の廃止が行われ、
国風文化の栄えとともに、中国の「漢字」ではなく、
日本の「ひらがな」を用いたとも言われている。
(この歴史がなければ高い識字率の日本はなかっただろう。)
このように、男性が女性を描くことは昔から行われてきた。
しかしながら、女性が男性を描くとなると、
そういった小説は数多あるものの、ぱっとしなかった。
そこに現れたのが絲山秋子である。
彼女の男性を描く巧さは、その著作を拝読すれば一目瞭然だ。
さて、前置きはこれぐらいにしておいて、著作の紹介にうつる。
『逃亡くそたわけ』& Theピーズ
この作品には、Theピーズの楽曲が使われている。
作品の内容は、精神病棟を抜け出した男女が逃避行をするというもの。
この構成自体にも音楽の影響が濃いことが生まれる。
まず思い浮かぶのが、ビート・ジェネレーションだ。
ビート・ジェネレーションとは?
1950年代から1960年代にアメリカ文学界に登場。当時の社会体制、社会の価値観を否定し反抗した一部の作家たちの総称のこと。ビートニク(Beatnik)とも呼ばれる。
主な作家には、
●ジャック・ケルアック
●ウィリアム・S・バロウズ
●アレン・ギンズ・バーグ
などが挙げられる。
『逃亡くそたわけ』を呼んで思い浮かべたのは、
ケルアックの『オン・ザ・ロード』(別名:路上)だ。
数年前に映画化されたことでも記憶に新しいこの作品。
アメリカ放浪生活を中心に書かれた自伝的な作品であり、
当時ヒッピーなどから熱狂的な支持を受け、
「ヒッピーのバイブル」とも呼ばれていた。
また、この作品が愛されたことでケルアックは、
「ビートの王」「ヒッピーの父」などとも呼ばれることもある。
ジム・モリソンやボブ・ディランなど、
当時のミュージシャンたちにも影響を与えたと言われている。
この世代の文学が、音楽に与えた影響は大きい。
『オン・ザ・ロード』も『逃亡くそたわけ』も「移動」を描いている。
それは時代は違うにせよ、若者たちの感情が齎した「移動」だ。
Theピーズ
『逃亡くそたわけ』のなかに挿入されているのは、
主に『どこへも帰らない』というアルバムだ。
彼らの廃退的な歌詞が、
『逃亡くそたわけ』と見事に融合している。
歌詞をここに引用するのは控えるが、気持ちいいほどの融合だ。
それはかつて、ビート・ジェネレーション(文学)が、
音楽に齎した影響に対しての感謝とも思えてくる。
是非、味わってみてほしい。
まとめ
絲山秋子の作品には、
他にもたくさんの音楽作品との融合が図られている。
そして、ここでは書ききれるはずがない程の魅力がある。
絲山秋子の作品は、音楽と、そして私たち読者と融合する。