戯曲と小説
むかしから戯曲を書く人の小説は、ある一定の強みを持っている。
劇作家でありながら小説家である人物はたくさんいる。
戦後日本文学に遡れば、三島由紀夫の名が思い浮かぶ。
『仮面の告白』『豊饒の海』『潮騒』など、
小説家としての面が有名だが、
三島は、『鹿鳴館』『サド侯爵夫人』などの
多くの戯曲作品を遺した。
三島の演劇に対する情熱はただならぬものがあった。
自ら文学座に在籍し、
演出や出演側での活躍もしていたのだ。
1963年にはノーベル文学賞候補であったことが
明らかになった三島由紀夫。
そんな彼をも、そこまで魅了した、
戯曲・演劇の魅力は何なのだろうか?
戯曲の魅力
そもそも戯曲とは?
現代日本における劇作家の第一人者・平田オリザは
戯曲をこう定義する。
「戯曲とは、世界そのものを写す設計図」
三島由紀夫は、戯曲を初めて書きおえた時のこと
を『私の遍歴時代』に書き記している。
「小説は書いたところで完結して、それきり自分の手を離れてしまうが、芝居は書き了(お)えたところからはじまるのであるから、あとのたのしみが大きく、しかも、そのたのしみにはもはや労苦も責任も伴わない。こんなに面白いことがあってよいものだろうか、というのが当時の私の正直な感想であった。」
また、小説と戯曲の違いについて、
『裸体と衣装』のなかでこう語っている。
それにしても私は心から芝居を愛する。それにもまして劇場を愛する。もし日本で劇作家たることが、アメリカのように十分引き合う商売であったとしたら、私はとっくに小説家を廃業していたかもしれない。小説の制作は冷静な作業の一点張だが、劇場には少なくとも興奮がある。私は興奮や熱狂というものに無縁な人間でいることはできない。
三島が制作する上で感じる魅力は、
小説 < 戯曲 だったのだ。
戯曲と小説の違い
三島の言うところの
「興奮がある」といった戯曲と、
「冷静な作業」だという小説。
この二つの違いは何だろうか?
もっとも違う点は、書き終えられた後の「状態」だ。
小説は書き終えられた時に完成する。
対して、
戯曲は、書き終えられてから、
演出家や役者によって、更に生命を帯びる。
井上ひさしは平田オリザとの対談『話し言葉の日本語』のなかで、
この2つの「違い」について話している。
「戯曲のせりふはすべて一人称でしょう。ここが小説と完璧に違うところですね。」
小説の歴史は演劇に比べると浅い。
演劇はギリシャの昔から存在したが、
演劇ではどうしても表現できない人間が生まれ始めた。
個人というものが誕生して、
ひとりひとりが他とは違うということになり、
同じ価値観で括れなくなって、小説という手法が生まれてきた。
つまり、同対談での井上ひさしの言葉を借りれば、
「小説は個人の誕生とともに発生した」
のである。
ここで注意しなければならないのは、
井上ひさしは、小説 > 戯曲 と考えたのではないということだ。
小説の誕生によって、
演劇ではできなかったことが表現できるようになり、
そうすると、今度は、小説では表現できない部分が出てきて、
逆に演劇がそれを表現していった。
小説と演劇は相乗効果的に発展してきたのである。
ここまで読めば、
小説家兼劇作家の強みの理由が見えてきた気がするではないだろうか。
では実際に、小説家兼劇作家の強みについて書いていくこととする。
劇作家の小説が、小説を進化させている
ここでは人物を紹介するとともに、
小説家兼劇作家の経歴から、「その強み」の理由を考えていく。
本谷有希子
第154回芥川賞に、本谷有希子の『異類婚姻譚』が選ばれた。
本谷有希子は20歳という若さで「劇団、本谷有希子」を創立。
2007年には『遭難、』で鶴屋南北戯曲賞、
2009年には『幸せ最高ありがとうマジで!』で岸田國士戯曲賞をそれぞれ受賞。
まず、劇作家として世にその名を轟かせた。
そんな劇作家であった彼女が小説家としての力を発揮し出したのも早い。
2011年に『ぬるい毒』で野間文芸新人賞、
2013年に『嵐のピクニック』で大江健三郎賞、
2014年に『自分を好きになる方法』で三島由紀夫賞をそれぞれ受賞。
20歳という若さで劇団を創立するほど、
戯曲への情熱が強い彼女が、小説家としての成功した理由は、
「劇作家」として、いくつもの作品を作ってきたからであろう。
前田司郎
1997年に、劇団「五反田団」を旗揚げ。
2004年『家が遠い』で京都芸術文化センター舞台芸術賞受賞。
2005年 処女小説『愛でもない青春でもない旅立たない』で野間文芸新人賞を受賞。
2007年 『グレート生活アドベンチャー』で芥川賞候補。
2008年 戯曲『生きているものはいないのか』で岸田國士戯曲賞を受賞。
ここまでの経歴で分かるのは、前田司郎の場合、
劇作家としての地位を小説家としてより先に確立した本谷由希子と違い、
戯曲・小説、両方を同時進行的に発展させてきたことが窺える。
山下澄人
1996年 劇団「FICTION」を主宰。
2012年に『緑のさる』で野間文芸新人賞を受賞。
2017年に『しんせかい』で芥川賞受賞。
つい最近の芥川賞受賞作家も、劇作家としてスタートしている。
劇作家兼小説家の強みとは?
では、劇作家である方々が、
小説家として、なぜここまで成功を収めているのだろうか。
その理由は、「言葉」に対する考え方を戯曲で養ってきたからであろう。
先に紹介した三島由紀夫の文章から分かるように、
戯曲での言葉は、書き終えられた後にこそ生きはじめる言葉である。
それは演者や観客とともに「生命の息吹を与えられる」。
そうした自分の手から離れたあとも生き続ける言葉
を使うプロだからこそ、受け手に感動を与えられるのではないか。
つまり、かれらの小説における言葉もまた、
読者によって「生きだす」なのであろう。
それってとても素敵なことです。
なぜなら、
作者だけでなく、
読者も、
「言葉」が生きることに
喜びを感じているのですから。