『般若心経講義』は現代人の必読書
今さえ良けりゃいい。
「刹那主義」というと聞こえがいいが、
今さえよければ、という考え方には様々あり、
そこを間違えると、いずれくる「今」は「よく」なくなる。
ある本を読みながらそんなことを考えた。
『般若心経講義』高神覚昇
内容紹介
「般若心経」はわずか260字余りの簡単・明瞭な仏教経典。他者を救済し、仏陀を目指す大乗仏教の心髄を、「空」をテーマに説く。本書は、玄奘三蔵が翻訳した「般若心経」をベースに、「空」を肯定と否定の二面の要素から考察。「智慧とは」「迷いとは」「真理とは」「命とは」など誰もが一度は思い及ぶであろう様々な“世の理”について、仏教の教えをもとに丁寧に解説する。
「一期一会」の大切さ、ひいてはチャンスを待つ心構えなど、これからのビジネスや生き方に幅広く活用できる「般若心経」の教えを、この機会に取り入れてみては?
価値のある「刹那主義」
さて、今回は、
仏教の観点から、「刹那主義」についてかんがえてみたい。
詩人のグレークはこんな言葉を遺している。
「刹那に永遠を掴む」
「刹那」と「永遠」は一見離れた言葉に思える。
仏陀釈迦の言葉がある。
「過去の因を知らんと欲せば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、現在の因を見よ」
いうまでもなく、過去・現在・未来は繋がっている。
しかし私たちが生きられるのは「現在」だけ。
だからこそ、
「刹那に永遠を掴む」は、
「今に永遠を掴む」とも換言できる。
『中阿含経』では、
「過ぎ去れるを追い念うこと勿れ、未だ来らぬを待ち設くること勿れ」
「今日なすべきことをなせ。誰か明日、死の来るを知らんや。かの死魔の大軍と戦うことなきを知らんや、かくの如く熱心に、日夜に、たじろぐことなく、住するを、げに、聖者は、よき一夜と説きたまえり」
と語られている。
刮目すべきは、
「たじろぐことなく」という言葉だ。
よく「今さえ良けりゃいい」と言う人がいるが、
そこには「諦め」の感情が垣間見れる。
感情に揺らぎがあり、たじろいでいる。
それは永遠に続く今に対する重圧から生じる感情ではないだろうか。
こうした感情は昔からあったようで、
白隠禅師の師匠・正受老人はこう言う。
「いかほどの苦しみに手も、一日と思えば堪え易し。楽しみもまた一日と思えば、ふけることもあるまじ。(中略)一日一日とつもれば、百年も千年もつとめ易し。一生と思うから大そうになり」
「今さえ良けりゃいい」という時の「今」は、
その刹那を大切にしていないような気がするのは私だけだろうか。
「一日ならなんとかなる」と考えて、
刹那に努力できる人こそ、真の刹那主義者なのだろう。
そのことを肝に銘じたうえで、同じ言葉をつぶやいてみる。
「今さえよけりゃいい」
そこには全く違った印象がある。
今回書いた内容は別段新しくもなく、むしろ当たり前のことだ。
しかし、それはとても難しい。
仏教の教えを知ることは、真の刹那主義を会得するための一助となるだろう。
まとめ
実はこの本には「刹那主義」という言葉はでていない(はず)。
でも、この本を読みながら、いつしか「刹那主義」について考えていた。
現代における「刹那主義」という言葉は美化されすぎている。
この本は、読みながら、他にもいろいろ考えさせられる。
それだけ仏教の教えには、現代人の悩みを解決する鍵が潜んでいるということなのかもしれない。
心地よく、読みやすい語り口で、
「般若心経」・「仏教」について知れる『般若心経講義』。