内容(「BOOK」データベースより)
けたはずれの好奇心と、独自の読書哲学をもった「不思議図書館」館長の寺山修司が、古本屋の片隅で、あるいは、古本市で見つけた不思議な本の数々。ロボットの百科事典、吸血鬼に関する文献資料、だまし絵、竜の画集、少女雑誌…。好奇心の飛行船に乗って、本のなかの「不思議の国」を旅する、愉しい“書物漫遊記”。
古本の魅力
この本の中には、寺山修司が古本屋で出会った魅力的な本がたくさん紹介されている。
目次を見れば明らかなように、そのジャンルは多岐にわたり、
この本は、寺山が読んだ古本を、寺山の視点で読むことができる。
目次はこんな感じだ。
1テーマ数ページ、文章の後に見開き1ページほどの写真が載せてある。
内容は、例えば、こんな話だ。
市街魔術師の肖像
この章では、
ストリート・マジック(大道魔術)について書かれている。
現代にも馴染みのある言葉でいえば「大道芸能」だ。
しかし寺山は大道魔術が「芸能」になっていった歴史を批判する。
この章の大半が一人の男の話に割かれている。
ハリー・フーディーニという、
どんな手かせ足かせで身動きを取れなくさせられても、
脱出してしまう「エスケープ・アーチスト(逃亡芸術家)」だ。
例えば、弾丸がつめられた大砲の砲口に、
身動きできぬように縛られた彼は、
12分という導火線が燃え尽きる時間に焦ることもなく、
また、弾丸の恐怖を物ともせず、
楽々と脱出し、観衆に投げキッスを送ったのだという。
彼のような摩訶不思議を行う人間(ストリート・マジシャン)が、
18世紀から19世紀にかけて、ステージへ押し上げられていった。
寺山はこう書いている。
白日夢を、「つくりもの」っとして、舞台の虚構性の中に閉じ込めてしまおうというのは、権力者の知恵というものだろう。摩訶不思議は、いつのまにか「芸能」化されていった。
芸能化されて何が変わったか。
それまで日常の現実をおびやかす牙が抜き取られてしまったのだ。
芸術化される前までは
呪術的媒体として政治を上まわる力を持っていたストリート・マジシャンたち。
こうしたものが虚構になってしまうのを、寺山は悲しんだ。
『不思議図書館』には好奇心をそそられる話がほかにもたくさん紹介されている。
寺山修司を初めて手に取る方にもオススメしたい本である。