「僕」が亡くなったという知らせを聞いたのは、警察から、私に電話がきたことからでした。彼の携帯に三日前の夜、発信履歴がありましたので、と警察は言いました。後から知ったことによると、彼には既に身寄りらしき身寄りがなかったようです。私は彼の名前すら知りませんでした。
私は病院で、医師から、問い詰めるかのような敵意丸出しの批判的な目つきで、彼の遺体から薬物反応が出たことを知らされました。その後医師は私に、車に撥ねられた彼の傍にあったという紺色のノートを、なにやら乱暴に手渡しました。ノートには、前半に日記らしき取り留めのない乱雑な言葉が、後半にはそれらをまとめたと思しき、この本の元となった文章が書かれていました。そうして私は、その文章を参考にして、この本を書きあげたのです。ええ、ただの迷惑だったかも知れませんが。彼は、ノートの中で自分のことを「表現者に憧れる人間」と書いていました。彼の希望通りの形ではなかったかもしれませんが、私は彼の未完の表現を完成させなくてはならないと思ったのです。とはいえ私はただノートにあった記録をまとめただけで、決してこれは私が書いた本ではないということは断っておきます。彼と共に道路に投げ出されたノートの中で、本は既にもう殆ど既に完成していたのですから。
それともう一つ、断っておかなければならないことがあります。彼は死にたくて死んだのではありません。ええ、違いありません。その証拠がこの本が未完のままであったという事実です。斯様にも彼は、必死に暇になることから逃れようと尽力していたではありませんか。恐れる暇を潰しながら、同時に、彼は夢を見ていたのでしょう。
私は、娘の夢を叶えてくれた青年の夢を見捨てることができなかったのです。
この店で一番高い値段を付けて、私は、この本を棚に置きます。『あなたも心理学』の隣に。私は手離したくないけれど、彼らは、人に読まれることを、望んでいるでしょうから。
店主・有也
〈了〉