河合隼雄『こころの処方箋』
河合隼雄とは?
●1928年、兵庫県生まれ。
●京都大学数学科卒業後、スイスの「ユング研究所」に留学。
●京大名誉教授。
●「国際日本文化研究センター」所長。
●日本における「ユング心理学」の研究を確立し、
「こころ」の領域を対象にした著作で有名。
そんな彼の著作のなかでも必読なのが、
この『こころの処方箋』である。
心を理解するするということ
「人の心は理解できない」と河合は述べる。
あまりに複雑な人のこころ。
それを研究し続けてきた彼だからこそ、こう言う。
「一般の人は人の心がすぐわかると思っておられるが、人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているのが専門家の特徴である。」
(河合自身を含めて)専門家は、
心などわかるはずがないと思っているのである。
それでは著作『こころの処方箋』において、
主題である「こころ」理解できないことを理解している専門家が、
なにを書いたのだろうか?
彼は、この本のなかで、理解できるはずのない「こころ」との、
上手な付き合い方を示している。
今回はその「こころとの上手な付き合い方」について、
河合隼雄の考えを元に、書いていくことにする。
NGなのは「決めつけること」
河合を含むカウンセラーのもとには、
悩みを持った人、
非行少年など、親の悩みの種となる人、
いろいろな人が訪れてくる。
非行少年を例に挙げると、
少年を取り巻く人は、みな「回復不能」だというレッテルを貼る。
河合はこれに警笛を鳴らす。
「悪い少年」というレッテル、決めつけを、イメージを、
一度自分のなかで払拭して、「はたしてどうだろうか?」
という疑問とともにカウンセリングを始めるのだという。
そうすることによって、
周りからは理解されていない少年のことが見えてくる。
ここで再度注意しなければならないのは、
少年の言葉をそのまま受け取ってはいけないということだ。
例えば、少年が「父親のせいで俺はこうなった」と言ったとする。
そこで、カウンセラーは「非行」の原因が「父親」にあると、
簡単に片づけてはならない。
「心をすぐに判断したり、分析したりするのではなく、それがこれからどうなるのだろう、と未来の可能性の方に注目して会い続ける」
と河合は、相手のこころとの上手な付き合い方を述べている。
周りから問題視された人の心を理解するには、
その人物の現状ではなく、
未来や希望とともに、相手を見ることが重要なのだろう。
「ふたつよいことさてないものよ」の法則
他人のこころを理解するコツは教えてもらった。
では次に、
私たち自身は、自分のこころを理解できているだろうか?
ということについて考えていく。
自分の「幸」と「不幸」をどう受け止めているか。
十人十色であるが、
私の周りには、「幸」はすぐ忘れ、
「不幸」にやたら敏感な人が多いように思う。
例えばよく、「私、雨女なんだよね」という人がいるが、
そこから、彼女が「幸」よりも「不幸」に敏感であることが知れる。
なぜなら、雨は彼女にとって特別な日だけでなく、
普段も降っているはずだからだ。
つまり彼女は、
普段の晴れの日(これを「幸」とする)には何も感じず、
特別な日の雨(これが「不幸」?)だけに敏感になっているのだ。
ここで河合の名言を引用する。
「ふたつよいことさてないものよ」
良いことがあれば悪いことがある。
簡単に言ってしまえばそうゆうことだ。
これは昔の日本人も考えていたようで、
「禍福は糾える縄の如し」という、ことわざがある。
「禍福は糾える縄の如し」:幸と不幸は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るというたとえ。また、不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりすること。
こうして、ことわざとしても
「上手なこころとの付き合い方」が示されていながら、
私たちはそれを上手く理解して自分と付き合うことが出来ていない。
だからこそ、不幸に敏感すぎる人が多いのではないか。
河合のこの名言(「ふたつよいことさてないものよ」)
で注意しなければならないのは、「さてないものよ」という
柔らかい言葉が使われていることだ。
「ふたつよいことなんて絶対にない!」と断言してはいない。
ここに「上手なこころとの付き合い方」の特徴がある。
ここでもやはり、「決めつける」ことはNGなのだ。
決めつけることは心を縛ることでもある。
こころに余裕を持って生きるのためには、
ある程度、曖昧なままでいる必要があるのかもしれない。
心の処方箋とは?
それでは、この本の題でもある
「こころの処方箋」とは何なのか?
私が思うに、恐らくそれは、「余裕」である。
相手を決めつけて話を聞こうとする人には、
脳に、心に、「レッテル」がパンパンに詰まっていて、
それ以外の情報が入ってこない。
雨女の例も同じだ。
余裕がないということは、
こころに「幸」をいれるスペースがないということではないか。
私は学生時代に『こころの処方箋』を読んで、
こころが癒された。
それは、きっと河合隼雄の本が、言葉が、
「余裕をもつことの重要性」を処方してくれたからだと思う。